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No22. 第7章 営業人材と販売網

1.営業人材採用の決断

投稿日:
投稿者:
大西秀憲
事業をするには人が要る。
経営リソースの「人・物・金」に於いて、最も重要なのは「人」である。
平成5年に創業してから満6年、初めて営業職を採用した。
・・・現、営業部 部長で東京支店長の原野である。(平成11年3月のことだ)
この時ほど人の採用に慎重になり、かつ悩んだことはない。
たぶん、創業間もないベンチャーや事業立上げを経験した創業者なら共感できると思う。

理由は「金」である。
開発の章で書いたように、平成7年頃から自社製品の開発に着手したが、事業の目途は全く立っていなかった。
要するに「売上がない」のである。
当然だが、売上がないから「金」はない。
弊社の決算は3末である。 平成11年3末(つまり平成10年度)の売上高は「約2百万円」であった。

上記の「原野」を採用したのは、1年の売上が僅か2百万円の時であった。
・・・人の採用に慎重になって、一所懸命考え、そして悩むのは当然であると、分かってほしい。
事業は「技術(製造)と営業(販売)」の両輪によって成り立つことは理解していた。
幸いにして開発は何とかなったが新製品を担当する「専任営業」が居なかった。
売上もないのに営業職を新規採用できなかったのである。
(事業を急成長させる創業者は、大幅な初期投資をして一気に勝負をかけるクソ度胸を持っていると思う・・・)
残念ながら、私の小心な性格では瞬時の思いっきりなど、とても出来なかったのである。
・・・性格もあったが、一つには社員の生活(つまり給料)を守らねばならないとの思いが強かった。

いつか書いたが、創業時のメンバーの内、「牛谷」は営業であった。
しかしそのころは農業支援ソフトの「FACTOSS]が売れていた時で、彼はこの拡販のため専従で奮闘していた。
最終的には全国の約50箇所に、このシステム等を納入して稼動させたのは立派である。
システムをほぼパッケージ化していたので、売れればGP率は非常に高い。
このソフトのお陰で辛うじて飯が喰えていたのであり、FACTOSSが果たした役割は非常に大きい。
一方で牛谷は平成7年から自社製品の営業も兼ねていた。
この間、私はどんどん自社製品を開発して発表していた。
・・・例えば、KOTOBAX、MCTOS、YES-NON、話すコール、徘徊ノン、そして徘徊コールなどである。
記者発表して、その後の問合せや営業対応するのも大変な時間がかかる。
従って、平成10年ごろには兼務が「限度」にきていた。

このような状況であったから冒頭書いたように、人材の採用に真剣に悩んでいたのである。
つまり「人材は欲しいが、払う金がない」ことである。
一方で、発表した市場の反応は大きく、充分に期待できるものであった。
そこで、私は「市場の反応」の可能性に賭けた!
・・・この賭けは勘であり、理屈ではない。
長い期間考えて悩んでいたが「採用を決断」したら、なぜか?急に気が楽になった。
さっそく彼は3月末から、東京ビッグサイトで行われた展示会を経験し、販売チャンネル構築に注力した。

そして平成11年度の売上高は13百万円となった。
・・・まだまだ人件費やその他経費が賄えるにはほど遠いが、ともかく売上が6倍に伸びたのである。
平成12年4月に「4大新卒女子」を1名採用した。・・・大阪市立大・心理学科卒のC.Mである。
(彼女は、弊社が学校に求人もしないのに、MCTOSに魅力を感じて、自ら弊社に応募してきた。)
そして平成12年度の売上は27百万円となった。
・・・これで辛うじて2人の経費が賄えるようになった。
従って私は平成12年度をテクノスジャパンの「販売元年」としているのである。

平成15年は「創業10周年」にあたる節目の年度であった。 ・・・節目は非常に大切である!
そこで、私は一大決断をして多数(4人も)の人材を採用した。
・・・この時は、全く迷わなかった。
なぜ、一気に4人も採用したかと云うと、「役割分担」のためである。
(因みに「総務・経理担当」、「営業事務担当」、「梱包・出荷担当」、「修理担当」である)
やがて、これらの業務を担当する人材が必要になると勘が働いた。
人材は切羽詰ってからでは遅い!必要となる少し前に感じることが重要である。
私の勘はずばり当たった!

「営業―受注―出荷―修理」のサイクルが自動的に回り始めたのである。
特に営業と一体となって業務を処理する営業事務に、勘の良い「T.K」を得たことは非常に大きい。
彼女は平成22年10月末に退職するまで7年半、文字通り献身的に仕事をしてくれた。
また、梱包・出荷担当に、鮮やかで素早い作業をする「C.K」を得たことは余人をもって代えがたい。
・・・彼女はパートから、正社員になり、現在も受注以後の「業務の全てを把握、指揮」している。
全く偶然だが、この超人的な2人の人材を得たことは「私の運の良さ」であると思っている。

更に特筆すべきは、総務・経理担当として採用した「K.K」である。
創業10年にして初めて採用に踏み切った「間接部門の事務職」である。
・・・それまで10年間は総務も経理も給与も全てを私が1人で行っていた。
初対面の1回目の試験と面接で採用を即決したのは、後にも先にも彼女だけである。
見た瞬間、私の勘が「ピンときた」のだ。  ・・・そして私の勘は正しかった。
約5年半、期待した以上に業務をこなし、パートナーとしてどれほど私の役に立ったか計り知れない。
・・・金から給与から人の採用から特許、更に開発補助金申請まで、全て任せて、安心できた。
(私が事務処理や雑用から開放され、開発・製造に注力できたのは、本当に大きな成果であった。)

平成15年採用のK.Kが同年10月、新卒営業の採用を一人で担当した。・・・無茶な話ではある。
しかし、そのお陰で1名採用できたのである。
平成16年4月に採用した人材が、現大阪営業所 所長の「玉田」である。
若い営業職が加わったことは、以後の採用に非常な効果があった。
とにかく「人材」である!

以下、次号。 

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