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No14. 第4章 (売れない)販売

3.売る模索と販売元年

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投稿者:
大西秀憲
前回は、平成10年10月第25回HCR(東京ビッグサイト)の展示会出展の「収穫と手ごたえ」について書いた。
要するに自社の製品に適合する展示会が見つかったのであった。

この展示会にはイエスノン、話すコール、徘徊ノン、そして徘徊コールの試作品を出展した。
徘徊コールに関心が集まるかと思ったが、そうでもなかった。
それは、要するに無線を使わず、既存のナースコール設備を報知機として使うアイデアである。
展示会前に、急ごしらえで試作したものだ。
これは(今から見れば)実にお粗末なもので、「テープスイッチのシート」に平行ビニルコードを付けたものである。
シートが剥きだしでは余りにもお粗末なので、上から被せる「専用カーペット」を作った。
・・・要するに見えなくして誤魔化したのである。 もちろん正式なナースコールコネクタなど付けていなかった。

しかし、ここからが問題で、私は「ナースコール装置」の仕組みや技術的仕様について全く知らなかった。
そのため、ナースコール装置と「平行ビニルコード」の接続が課題であった。
特に既存のナースコールスイッチと併用しなければならず、そのためのコネクタと接続BOXが必要だった。
私は、とにかくコネクタのサイズとメーカー名が知りたかった。
「一般のメタコン」は知っていたが、ナースコール用は特殊なサイズで、市販されていないのである!
そんな時、知り合いの電気工事業の現場監督と話をしている時に、偶然「ナースコール工事」の話題が出た。
  ・・・要するに、病院や施設の建設工事で、ナースコール工事も「電気工事業者」が施工するのである。
私は、これを聞いたときに頭のランプが「ピカー」と点灯した!
すぐに頼み込んで「プラグとレセプタクル」を入手した。
レセプタクルを市販のBOXに取付け、スイッチを付けて「中継ボックス」と名づけた。
そして製品名を「徘徊コール」とした。 ・・・ナースコール接続「徘徊コール」の誕生である!!

平成11年のHCR(国際福祉機器展)に「徘徊コール」の製品版を出展した。
展示物は「コトバックス・MCTOS・徘徊ノン・徘徊コール」である。
(このHCRから原野君(現東京支店長)がブーススタッフとして加わり4人で対応した)
目玉であるMCTOSはこの年の2月から販売を開始していたので、このPRがメインであった。
もう一つの目玉は「徘徊製品」である。
とにかく「4種類」に増えた自社製品を徹底的にPRした。
・・・徘徊ノン、徘徊コールの展示会反応は、まずまずであった。

展示会が終わって暫くして関東の老人ホームから「徘徊コール2台」の注文を受けた。
この時の喜びは忘れられない! ・・・僅か2台であるが、製品として認めてくれる人が居たのである!
お客さんは三浦半島の三崎口であったが、嬉しいので私が持参して設置工事と説明をした。
(その頃はナースコールのコンソールBOXを開けて、ケーブルの追加接続をする必要があった)
当時の徘徊コールの定価は\43,000円(税別)、値引きなしの定価販売であった。
不思議なもので、関東を中心に「パラパラ」と売れ出した。
そして平成11年度が終わったが、年間の売上高は13百万円を記録した。
(因みに前年度売上は2百万円だった)
平成10年の中期事業計画では10年をかけて自社製品の売上比率を80%にする計画を立てていた。
(その頃のメインは既に書いたがソフトウエア開発であった)
  ・・・くどいようだが、ソフト開発は飯を喰うための方便と腹で決めていた。

徘徊コールの感触が良く、「ひょっとすると」これは行けるのではないか!そんな思いが強くなった。
「徘徊ノン・徘徊コール」を売ってみよう! 原野君の営業が始まった。
しかしこの時点では「直販」がメインで販売店開拓が大きな課題であった。
自社製品を販売する場合、「直販」か?「代理店販売」か?、この選択が必ずあり岐路となる。
直販だと利益率が非常に高いが、販売網が限られるため「販売数」が伸びない。
一方、代理店販売は利益率が低くなるが、販売網を構築すればするほど「販売数」は伸びる!
この選択は非常に難しい問題である。
(弊社は平成16年度まで直販メインで販売を進めた。)

このように手探りで販売を進める中、平成12年度の自社製品売上高は「27百万円」になった。
平均すると1ヶ月2百万円を超える売上実績であった。
このため、テクノスジャパンでは平成12年度を「販売元年」としている。
しかしながら設立から販売元年まで実に8年かかっているのだ!
(この間の支出経費は累計で1億円になり、もちろん収入は「0」である・・・)
これに耐えうる「精神力と企業体力」が無ければ自社製品メーカなどできない。

以下次号 

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