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No12. 第4章 (売れない)販売

1.売れる製品のヒラメキ

投稿日:
投稿者:
大西秀憲
前章では主として「開発」について書いたが、これが弊社の基礎になったのは間違いない。
ところがメディアが騒ぐのと売れる製品開発とはGAPがある。
開発したら製品にして売らなければならない。
ところが販売は簡単ではなく「なかなか売れない!」ものである。
・・・ここで皆、苦しむのである。
本章からは、「売れる製品のヒラメキ」と「売れるようになるまで」について書く。

第4章 (売れない)販売
   1.売れる製品のヒラメキ

「老人の徘徊」について興味を持ったのは、以前に書いたが「情報整理」の結果である。
家から出て行った老人の行方を探る(知る)ための製品である。
私は無線探知機のような物を作ることを考えた。
アンテナの指向性を利用して(徘徊老人が持った)電波発信機の方向を検知する製品である。
とにかく一所懸命考えた。
アメリカから資料やパーツも取り寄せた。
・・・それは野生動物や鳥の生態調査に使われている受・発信機である。
捕獲した鳥や動物に小さな発信機を取り付け放すと、その行動から生態を調査研究する物である。
調査する人は「八木アンテナ」を持って移動し、アンテナの指向性を利用して発信機の方向を探る仕組みである。
(これは随分以前にテレビで見たことがあった)
また、丁度偶然に「むつごろうの動物・・・」の中で犬に発信機を付けているのをTVで見た。
私は早速、北海道の「むつごろうさん」に電話して、発信機をどこで買ったのかを尋ねた。
氏は、テレビで見る通り気さくな人で、共同研究している「ある研究所」の所在を教えて下さった。
すぐにその研究所に連絡したが、結局はアメリカからの輸入品で、私の持っている資料と同じ製品であった。

私が、その発信機に目を付けたのは2点ある。
その1は、発信機が非常に小さいことであり、その2は、電波が遠くへ届くことである。
この発信機なら人の身体に付けても、かさ張らず、目立たないので検討したかったのである。
この発信機については、色々と検討したが、結局は断念した。
それは周波数の問題である。 ・・・日本では使えない周波数であり、変更には多額の投資が必要だった。
従って、自前で作ることを考えた。

このような訳で、私は「徘徊老人居場所探知機」の構想をまとめ、概要設計をした。
そして製品化の試作をしようとした時に、私は重大な事に気が付いたのである。
「これは誰が使うのだろうか?」と考えると、それは多くの場合「主婦」であろう。
その人達は、一般的には「機械音痴」の部類に入る。
家族の老人(親)が居なくなった時、その製品を手にして「アンテナの指向性」を使って探知できるだろうか?
そう考えたとき、私の答えは「ノー」であった。
そこで、すぐに私はこの構想を捨てた!!
大変な間違いをする所だった! 技術中心で考え、使う人の事を全く考えていなかったのである。
従って、製品に於いて技術を前面にだすのは、間違いなのである。
・・・それから10年以上経ったが、現在でも「老人の身体に付けるGPSセンサー」は余り普及していない。
(私の究極の判断は正しかったのである)

ヒントとチャンスは向こうからやって来た!
しばらくして、私は全く別件(MCTOS)で、姫路の西にある「相生市のH病院」に行った。
病院でMCTOSを説明して帰ろうとした時、ドクター(院長)が「ぼそっと」つぶやいた。
「脳外の手術患者が無意識に歩いて困るんだ、知る製品は無いだろうか?」と云う内容であった。
私は「すぐに考えてみます」と答えて別れた。
10日ほどで試作品(もどき)を作った。
センサーにはテープスイッチを使い、報知機は近くの量販店で買い、加工して組み合わせ試作した。
要するに、幅50cm、長さ80cmほどのセンサーを踏むと、無線の報知機が鳴る仕組みである。
すぐにドクターの所に持っていき、デモをして見せた。
ドクターはすぐに「これだ!」と云った!

「こんなローテク製品が求められる世界があるのだ!」と云う、新たな「発見とヒラメキ」だった。
そこで私はこれを製品化することを決意した。
  センサー素材は「Tセンサー」に話を付け、報知機は「Dアンテナ」の本社責任者に話を付け、仕入れる事にした。
(現T社の清水社長は、Dアンテナ在籍以来の付き合いで、現在も継続取引している)
このようにして生まれた製品に私は「徘徊ノン」と名づけた。
これがテクノスジャパン「離床センサー」の始まりである。
・・・この製品名は現在も「現役」である。
平成9年11月に「徘徊ノン販売開始」の記者発表を行った。
これがヒット製品になり、経営も安定する!と期待したが「全く」売れなかった・・・・

理由は売るための「必死の販売努力」をしなかった「甘さ」である。
またも「メディア」が報道すれば売れると云う、情けない甘さが出てしまったのであった。
翌年(平成10年)も何とか売るために努力したが、全く売れず答えは秋の展示会まで待たねばならなかった。
平成10年秋の「国際福祉機器展・HCR」が大転換期であった。

以下、次号で書く。

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