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社長のコラム『やってみなわからん!』-私の体験-

No8. 第3章 開発

2.開発推進1

投稿日:
投稿者:
大西秀憲
前号では開発した「コトバックス」が全く売れず、そして売れない理由が分かるまでを書いた。
本号では、その解決についての開発について書く。

丁度その頃、私は「姫路産学交流会(現、はりま産学交流会)」の世話役の一人をしていた。
姫路工業大学との産学連携を推進する同会の懇親会で、たまたま機械工学科の「野方先生」と知り合った。
先生は、植物の研究をしているが「植物の生体応答信号」は面白いですよ!とおっしゃった。
そして、すぐに私は先生の研究室を訪問して、研究対象の植物を見せて頂いた。
「植物が外部刺激に反応して応答信号を発する」のである、それは驚きであり、初めての経験であった。
誰でも知っているように、植物には「脳」も「中枢神経」も無い。 ・・・その植物が応答するのである!!
私は先生に質問した。 「人間も同じような信号がありますか?」と。
私はこの時、瞬時に浮かんだ「人間の信号」を機器の操作に使うと云う構想を先生に話した。
・・・・先生は、「そんなのが出来たら凄いネ」と云われた。・・・平成8年秋の頃だった。
  
私は早速、姫工大の図書館に行って「生体信号」について書いてある本を探した。
生体信号には「脳波・筋電・眼電」信号の3つがあることが分かったが、とにかく内容が難しい本ばかりで困った。
そして読めば読むほど、数式が多くて、分からなくなった。
そんな中で、1冊の本の1行に目が釘付けになった。
そこには「脳波などの生体信号は電気信号の1種である」と書かれていた。
・・・これを見た時、頭の中の霧が一瞬で晴れた! 「何だ!電気信号か!」
正体が電気信号と分かったら、もう「こっちの物」である!
このような訳で私は「生体信号」と取組むことになった。

私は額から生体信号を検出する方法を考え、さっそく試作にかかり、その電極固定について思案した。
すぐに「パッとひらめいて」スキーのゴーグルを利用することを思いついた。
新品のゴーグルを買う金がもったいないので、私はスキー場に行ってゲレンデを探した。
シーズンOFFのゲレンデには草だけがあり、リフトの下あたりを探すと、すぐに見つかった!
ちょっと派手かナ?と思ったが「ピンク」のゴーグルを加工してディテクターとした。
生体信号を扱う上で一番難しいのは「高性能の増幅器」の製作である。
何しろ百万分の数Vと云う、超微弱の信号を扱うので、「高利得増幅」しなければならない。
しかし、普通の手段で増幅すると「雑音(ノイズと云う)」も一緒に増幅してしまうので、全く使えない信号になる。
これを先ず解決しなけれなならない。
更には、「信号変換」(アナログを⇒デジタルに)と「信号解析」および「信号制御」をしなければならない。
(これらは得意分野であるのでさほど時間はかからなかった)
概要の目処がたち、構想がまとまったので平成9年1月末ごろに再び先生の研究室を訪問して説明した。
それからは、ともかく、集中して「もどき(デモ機)」を作り上げた。
そして、前回訪問から約2週間ほどして先生のところに試作器を持参した。

先生!出来たので見てください!と云って、実演した。
そのとき実演したのは頭部の生体信号で「スタンドライトを点灯・消灯」することである。
(理由は、見た目で分かり易いことである)
私がゴーグルを装着して「念じる」と「スタンドライトが点いた!」また念じると「ライトが消える」実演であった。
この実演は先生の(狭い)研究室で行ったが非常にスムースにいったのである。
私は先生の反応を待ったが、(驚きの余りか?)先生は暫く無言であった!
暫くして、先生は「これは凄い!、凄いよ!大西さん」とおっしゃった。
これは平成9年2月のことである。
先生のお話では、実はあまり期待されていなかったようである・・・
それが、1ヶ月も経たない短期間で、しかも素人が「生体信号の実験機器」を作って、持ってきた!
しかも、これがちゃんと動く!
・・・因みに、この時の驚きを先生は「姫路商工会議所報・平成10年8月号」の中で真摯に書いておられる。
ともかく、この方法を「実用化(つまり製品化)」すれば、指が動かなくてもスイッチが押せる手段として使える!
私はこのシステムを「MCTOS:マクトス」と名づけて、実用化開発へと動いた。
(因みにMCTOSはMind Control Tool Operation Switchの略であり、現在では国際商標登録している)

世の中は、うまく行かないものである。
平成9年4月に私は大手術を受けた。・・・その前3月には手術の前の検査入院を1週間経験した。
この手術は全身麻酔で、顕微鏡を覗きながら行う大手術で約5時間かかった。
会社が心配で心配で・・・MCTOSの実用化開発を早くやりたく、とても寝ていられなく1週間で無理やり退院した。
私が入院していると、お金は動かず、給料もだせない・・・   私が事務全てをしていたのだ。
医者が「悪くなっても知らないゾ!!」と云うのを「このままでは死んでも悔いだけが残る!」と云って、説得した。
もちろん、約30針縫った「糸」もそのままで、私は退院した。
手提げカバンを持ち、病院(姫路赤十字)から約3Km歩いて会社に行った(実は入院支払で、タクシー代が無かった)
(その頃は北条1丁目の北村ビル2階に居た)
会社に着いたら本当にヤレヤレと思った。・・・事務所では内海君が一人居て「びっくりした顔」をした!

これで仕事ができると思ったが、実は甘かった。
どうしても頭が「ボー」として、考え事はできず、何をしてもダメであった、もちろん開発など無理だった。
気が焦るばかりで、何も手が付かなかった。
(しかし、この間に入院経験で閃いた「話すコール」の構想と特許を書いた)
少し、エンジンが回転を始めたのは9月に入ってからだった。
このようにして、約6ヶ月の空白を作ってしまったのである・・・・
・・・しかし私は、この手術入院によって、貴重な体験と重要な決意をすることができた。
やはり、「人間万事塞翁が馬」である。

続きは次号「開発推進2」で書く。

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