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社長のコラム『風の見える朝』

No90. 公看さん

投稿日:
投稿者:
大西秀憲
沖縄に「公衆衛生看護婦」と云う制度があり実に素晴らしい人達がいた。
彼女達は地域の人々から親しみと尊敬の念をこめて「公看(こうかん)さん」と呼ばれた。
私は以前からコラムに書こうと思っていたがテーマが偉大すぎて手が付けられなかった。
それほど私は彼女達を素晴らしい人だと思っている。
何が素晴らしいか?
それは、彼女達の「使命感」と崇高な「人間性」に対してである。
多くの日本人が知らないか、忘れてしまったようなので、ここで改めて書こうと思う。
これは私自身の記憶と気持ちの整理でもある。

舞台は沖縄である。
時代は大東亜戦争(アメリカでは太平洋戦争と云う)敗戦後のことである。
沖縄は米軍との本格的な戦闘が行われた唯一の日本国であった。
敗戦によって沖縄は日本から切り離されアメリカによって「琉球政府」ができた。
要するに日本であって、日本でなくなったのである。
・・・これは昭和47年の沖縄返還まで続いた。
沖縄を治めるため、アメリカから各方面の行政官が視察と調査にきた。
やがて彼らは「驚くべき貧弱な医療体制」の実態を知ることとなる。
沖縄は東西1000Km、南北400Kmと云う広大な海域に40余りの有人島で構成される。
この地理的条件に加え、極度な医師不足や感染症の蔓延、そして経済的な困窮があった。
(戦争によって医療だけでなく全てが壊滅的な状態であった)
とにかく病気になれば全く治療を受けることなく死んでいったのである。
例えば1950年代初頭、毎年2000~3000人の結核患者が発生していた。
これに対して2ヶ所の療養所合わせて、僅か300ほどのベッド数であった。
・・・ほとんどの患者は薬も手当ても満足な食べ物もなく自宅で亡くなったのである。

このような極度の医師不足と貧弱な医療体制を補うため生まれたのが公衆衛生看護婦制度だ。
さっそく「公看」の養成が始められた。
特に指導的役割を果たしたのは「金城妙子さん」であった。
金城さんは「公看係長」を務め、全般に亘って驚異的な力を発揮した最大の功労者である。
金城さん(当時34歳)の写真を見たが、実に素晴らしい顔(表情)をされている。
さて、制度の立案・指導と養成にあたったのはアメリカから赴任してきた専門家であった。
彼らは非常に厳しい教育を行った。 ・・・第一回の教育は1950年に始まった。
徹底して行ったのは「住民に奉仕する心」であった。
何よりの特徴は「駐在制度」である。
公衆衛生看護婦養成所を卒業した「公看さん」はそれぞれの任地に赴任していったのである。
言葉では簡単であるが、それは想像を絶する苦労を意味する。
1972年沖縄は日本に復帰したが、当時71の駐在所に122人が勤務していたと云う。

例えば、「イリオモテヤマネコ」で有名な「西表島」がある。
この島は八重山諸島の中心である「石垣島」から船で約40分の所にある。
当時の実態が記録されている。
西表島は原生林に覆われ、道路もなく、マラリアの汚染地帯と恐れられていた。
敗戦直後、年間で約20人の赤ちゃんが生まれたが1週間で1割が死んでいた。
そして最も憂うべきは60人以上になる島の「結核患者」だった。
ここに赴任したは「山城ヒロ子さん」26歳。
生後1ヶ月余りの息子の世話も出来ないまま、肺炎で失う状態での仕事であった。
山城さんは、その後30数年間、西表島に駐在して島の住民の「生命の守り手」を担った。

「与那覇しづさん」も公看さんの一人である。
与那覇さんは、住民に奉仕する心をもって、献身的に仕事に打ち込んだ一人だ。
彼女は幼い二人の子供をかかえて、駐在公看の激務に打ち込んだのである。
台風の中でも大雨の中でも常に住民を最優先して、ある時は二人の子供を犠牲にさえした。
子供が病気の時、お腹をすかせている時でも、住民を最優先して公務に打ち込んだのである。
あまつさえ、与那覇さんの子供(次男)は生まれた時から障害を持っていたのである。
その子供の面倒も十分に看られぬまま、家に残して急患の家に駆けつけたのであった。
・・・後ろ髪を引かれながら。
    そして心で詫びながら・・・
お二人の子供さんは与那覇さんの崇高な後姿を見ながら育ち、そして立派な人に成長された。
中でも次男さんは障害を克服して医者になり、現在アメリカの医療機関でご活躍である。

このような「公看さん」の献身的な努力により、結核患者もやがて減少した。
沖縄が日本に復帰後は「保健婦」の名称に代わったが、他の県には無い駐在制度は残った。
不便な離島において、道なき道をかきわけて、貧弱な医療体制を支えた公看魂があった!
日本全国ではほとんど知られていないが、実に素晴らしい人々が居たのである。

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