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社長のコラム『風の見える朝』

No77. 柿とおやつ

投稿日:
投稿者:
大西秀憲
早いもので、そろそろ晩秋である。
この時期は柿が一番美味くなる頃である。
山崎の家の周りでも柿の木が多く、どこの家の柿も沢山の実が熟れている。
柿は生る年と生らない年がほぼ交互にくる。
そろそろ渋柿を取って「干し柿」にする時期である。(干し柿については以前書いた)
しかし、ここで書くのは「甘柿」についてである。

村の中を見ても、車で走っていても、実に多くの柿の木を見かける。
昔からある柿の木だが、事情は大きく変わっている。
昭和30年代の頃、柿の木は、このシーズンになると「実が」残っていなかった。
全ての実を残さずに取って食べたからである。
ところが、近頃の柿の木には、多くの実が生ったままで誰も取らない。
その結果、実は自然に腐って落ちるのである。
要するに、誰も「自然の柿の実」など、見向きもしないのである。
しかしながら、柿は実に美味しい果物で、相変わらず人気がある。
その証拠に、店ではこの時期、どこでも沢山売られている。

実を云うと、私も柿についての認識が薄かった。
これについて気付かせてくれたのは、あるイギリス人であった。
私は35才の時、急に思い立って「英会話」レッスンに通い始めた。
(それは、仕事が終わって、家に帰ってから、行くので夜10時を過ぎてからだった)
その先生がイギリス人でJ.Wさんと言った。
(因みに彼の奥さんは日本人で、奥さんの実家が教室だった)
いつも少人数で、冬など「こたつ」に足を入れて勉強する、家庭的な教室であった。
レッスンも、一応テキストはあるが、その時々の出来事を教材にしたフリートークだった。
私が身の回りで起こった事を英語で話し、先生が直すべきは直す指導をする。
そして、先生から「質問」を受けて、それに私が答える形でレッスンが行われた。
あるとき、先生が言った、道を歩くと多くの柿があるが「なぜ誰も食べないのか?」
腐って落ちているのに「なぜ?誰も取らないのか?」と云う質問だった。

これを聞いた時、少なからず衝撃を受けたせいもあり、うまく答えられなかった。
その頃「ジャパン アズ ナンバーワン」という驕りの言葉が聞こえてくる時勢だった。
高度成長を成し遂げ、長期の好景気によって、日本人全体の感覚麻痺が始まった頃だ。
なぜ私が衝撃を受けたか?と云うと、昔の柿の木の状態を知っていたからである。
・・・いつの頃からか?人々は「自然の柿」に見向きもしなくなっていたのだ!
大げさに云えば、先生の質問は「浮かれている日本人」に対する警鐘だった。
実は私も、この先生の言葉を聴くまでは、感覚が完全に麻痺していたのだ。
私は先生に質問した、「イギリスの柿の木はどうか?」
「きれいに取って食べる」と先生は答えた。
それが、本当かどうか?、一部の状況か? それは分からない。
しかし、「なぜ?誰も柿を取って食べないのか?」と云う疑問を持ったのは事実である。
ほとんど日本語が話せない人が、外国人の感覚で感じた「素朴な疑問」と思う。

実は、日本人の生活スタイルと水準が飛躍的に変化した中で、無造作に捨てた事が多い。
私が子供の頃、どこの家でも冬には「おかき・あられ」を作った。
「おかき」「あられ」は、餅米を基本材料として作る。
要するに、大きな餅を作り、少し硬くなった時に、薄く切り、それを日陰で干すのだ。
干すのは「むしろ」に切った「おかき」を一枚づつ並べ、頃を見て裏返すのである。
このようにして、十分干すと、保存食として非常に長持ちするのである。
餅の中に、「豆」を入れたり、「よもぎ」や「海苔」を入れた。
また、「色粉」で様々な色を付けた。 ・・・要するに子供が喜ぶためである!
「あられ」は餅を「サイコロ状」に切ったものである。
これも、おかき同様に、十分干して、保存した。
そして、これらが一年中の「子供のおやつ」であった。
私は、おかきを「テンプラ油」で揚げたものが、一番好きだった!
  ・・・それも、豆入りおかきの油揚げは、この世の中で無上のものだった。
どこの家の子供も、おやつは皆、「おかき」「あられ」だったのである。
いつの頃からか? これを家で作らなくなった。
  ・・・生活が豊か(一見)になると、面倒なおやつ作りは、完全放棄したのだ!

おそらく、おかきもあられも、歴史は非常に古いと思う。
食べ物は民族の「文化」であり、風土と土壌と知恵で営々と発達してきたものである。
それは数百年のものは普通であるし、中には1000年単位の物もあるかも知れない。
それらを、たかが30~40年の経済的豊かさの幻想の中で、無造作に捨てた!
後世の日本人に対して申し訳ないと思う。
一番の罪は「文化」を絶ったことである。
永い民族の歴史の中で、我々がしたこの無謀が後世許されるだろうか?
例えば、500年後の子孫が、昭和・平成を、どのように評価するだろうか?
今、生きている人は「過去を未来に引き継ぐ」だけの役割ではないか?と思う。

昔の子供は自然の物も上手に「おやつ」にした。
例えば、「だんじ」である。
春になると「だんじ」は山や野原の岸であれば、どこにでも生えた。
・・・だんじは山崎の言葉であり、所によって呼び方が変わった。
標準語では「いたどり」と云う。 ・・・学名は知らない
因みに「いたどり」は「痛みを取る」から付いた名前である。
  ・・・つまり「いたどり」を患部に貼ると「痛みが和らぐ」のである。
いたどりも沢山の種類があり、また生える(育つ)場所によって質が左右される。
子供たちは、めいめいに「自分の秘密の場所」を持っていた。
要するに質の良い立派な「だんじ」が取れる所を知っていたのである。
  ・・・立派なだんじとは、太くて、節の間隔が短く、赤みがかかった物であった。
これを、皮を剥き生でかじるか、塩をつけて食べた。
要するに、子供の遊びと「おやつ」を兼ねた、ごく普通の日常だったのである。
このような訳で、村中の山や野原の「だんじ」が残ることはなかった。
今どうか?
子供も大人も誰も「だんじ」などには見向きもしない!
だんじは自然にどんどん伸び、やがて「だんじがら」になって朽ちることを繰り返す。
  ・・・「だんじ」は漬物にすると美味しいのだ!

豊かになって「食べ物」は回りにあふれ、しかも見た目も美しく、そして美味しい。
しかし、ここに書いた「子供のおやつ」は、永い永い日本民族の知恵の結晶である。
「おやつ」も文化である。
(実に脆い基盤の上で)虚飾の繁栄をしている「ものさし」で文化を捨てて良いのか?
文化は「継承」すべきもので、今の我々は、次の人達に「伝えていく」のが役割だ!
このままでは「工場生産のおやつ」しか知らない民族になってしまう。
他の民族と交流する時に、これが「我々民族のおやつだ!」と胸を張れる物がない!
世界に誇る立派な歴史を持つ日本民族として、寂しいことだと思う。
  ・・・結局、「こころ」を失っているのだ!

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