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社長のコラム『風の見える朝』

No75. 節句と山の荒れ

投稿日:
投稿者:
大西秀憲
(昭和30年代前半のころのことである)
毎年4月3日には、村中の人が弁当を持って山に行った。
田舎では4月3日を「節句」と云った。
(因みに、3月3日の雛祭りは何もしなかった・・・貧乏な田舎だったのである)
節句には、重箱に料理を詰めて、家族皆と野外で昼飯を食べるのである。
これは私が小さい頃から、毎年の恒例行事であり「そんなもの」だと思っていた。
今から思えば実に良い習慣であったと思う。
これが「高度成長期」と共にいつの間にか無くなってしまった。
「そんな、のんびりしたこと、やっとられるかい!」と皆が金稼ぎに走った。
その結果、誰も「節句」のことは忘れてしまった・・・・

私が生まれ育った村は少し高台にあり(約20m)村の中には灌漑用の池が沢山あった。
「節句」の日には家族単位で池の土手に適当な場所を確保して弁当を広げた。
土手には、もちろん顔見知りの人や家族ばかりで、実に賑やかな昼飯であった。
私は小さい頃には意味が判らず「節句」とは、野外で飯を食べることだと思っていた。
とにかく、昼前になると「ゾロゾロ」と村人が、野外に出てくるのである。
実に面白い光景であった。

ところで、今年の春、昔の節句を思い出して、山菜採りを兼ねて山に行った。
しかし、そこは昔の山ではなかった。
山の形が大きく変わり、既に道は無く、全く前に進めなかったのである。
昔、節句をしている頃は、山は「公園」のようであった。
昔の思い出だけが残り、現実との「あまりの違いに」愕然とした。
とにかく、一歩も山に入ることが出来ないのであった。
従って、山菜採りどころではなかった。

村人が山に行かなくなってから久しいが、それにしても山の荒れようは甚大である。
特に、1昨年(2004年)9月の台風は近年にない激しい風であった。
年寄りに聞いたが、あのように強い風の「台風」は経験がないと云う。
とにかく凄まじい風であった。
雨はそれほどでもなかった。
この台風で山の杉や檜は左右に倒れ、上下に倒れて、山は壊滅状態になった所も多い。
この台風が「山の荒れ」にトドメをさして、荒廃は手が付けられなくなった。
たぶん、平成の時代では、山には手出しができず、見向きもされないだろう!

山がダメになると「漁業」もダメになるとの説がある。
海の魚が獲れなくなるのは山が荒れているからだと云う。
そこで、海の関係者(漁師さん達)が山に植林をしたり、山の手入れをしている。
そのような運動をテレビのドキュメンタリー番組で見たことがある。
私には考えられないことだが、海と山の関係は、およそ次のようであった。
山に植林が無く禿山になると、雨が降れば泥水となって川に流れ、そして海に出る。
泥水が流れ込んだ海は汚れて透明度が悪くなり、中々海水はきれいにならない。
そして汚れた海は、そこに棲む魚(養殖の魚にも)の生殖に悪い影響を与える。
養殖中の魚が死んだり、また自然の魚も漁獲量が低下するというのだ。
そして、この汚れの原因は川の上流にあり、とした。
大雨が降ると川を汚しているのは荒れ山である。
そこで、昔のような山を取り戻そうという運動が始まったのである。

山に木が育っていると、木と共に多くの植物も育ち、枯葉や落ち葉が堆積する。
この堆積物の層は段々厚くなり、雨水を溜めるスポンジのように働く。
そうすると、大雨が降っても雨の全てが、すぐには流れずに「貯水」されるのだ。
そして、徐々にゆっくりと水は川に流れる。
丁度、「天然のダム」のような働きである。
しかも貯水された水は直接土と触れないから、流れ出た水は「きれいな水」である。
更に、この堆積物は「水のろ過器」の役目もする。
仮に汚れた雨水でも堆積物をくぐるうちに、きれいになるのである。

もっと驚くことがある。
木が育ち、植物が育ち、堆積物があると、そこから流れ出た水には「栄養」がある。
この栄養が川を流れ、川の魚を育てながら、海に栄養分を運ぶのである。
この天然の栄養分で魚が育つのである。
つまり、豊かな山は「豊かな栄養供給基地」なのである。
従って、山が豊かなれば、海も豊かなのである。
このような自然界の絶妙なメカニズムには驚かされる。

皆が和気藹々と「節句に」山に出かけたころは、山は実に手入れが良かった。
金稼ぎ(給与生活者)になっていなかったから、山・畑・田が主たる仕事だった。
それが「高度経済成長」と共に一変した。
村中の人がほとんど「サラリーマン」になって、お金を追いかけ始めた。
それまでとは桁違いの現金収入があるから、生活レベルも桁違いに良くなった。
  ・・・「節句」も3月3日に、豪華な「雛壇」を飾るようになった。
そして、誰も山に行かなくなり、山は荒れ放題になった。
更に、猛烈な勢いで山を開発(山を削り、山肌をみせる)したのである。
  ・・・これは、高々ここ50年程で、人間がしたことである。

最近、大雨が降ると必ず大きな災害が起きている。
これは山の荒れと、開発に関係ありと私は思っている。
皆さんの中で小さいときに山に行った人は、一度古里の山に行ってみて下さい。
そこは「一歩も」足を踏み入れることさえ出来ない山になっているはずである。
例えば、今から500年後の子孫が、これをどのように評価するであろうか?

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