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社長のコラム『風の見える朝』

No52. 石炭の痛い思い出

投稿日:
投稿者:
大西秀憲
中学校の時、冬の暖房は「石炭ストーブ」であった。
教室のほぼ真ん中に鋳物製のストーブがあり、煙突が窓の外に伸びていた。
このストーブは「ビール樽」の形で、上に蓋があり、横に扉がついていた。
ストーブの上には鍋があって、音を出しながら湯気が出ていた。
火力調節をしないと燃えすぎて、ストーブが「真っ赤に」なるときがあった。
そんなときは、ストーブに近い席は熱くて熱くて困ったものである。
しかし普段は、ストーブの近くの席に当たった者は、幸せの絶頂だった。
信じられないかもしれないが、私たちの教室は『1クラス55人』だった。
だから、教室の一番前から、一番後ろの壁板ギリギリまで、ぎっしり座った。
とにかく、教室の一番隅の席と、比べると天国と地獄の差であったのだ!
寒い、寒い冬に、暖かい所で過ごせる幸せ!何物にも代えがたかった。
この席替え指定は、担任の先生の「鶴の一声」だった! 正に天の声である。

とにかく学校に着くと皆ストーブの周りに集まってワイワイやっていた。
当時の教室には何もないが、ストーブがあるだけで、それが皆の中心になった。
だから冬の朝は学校に行くのが楽しみであった。
なぜなら、家には暖房が無かったのだ! どの家も同じであった。
石油ストーブもガスストーブも、電気ストーブも無かったのだ。
家庭で暖房といえば、「堀ごたつ」か「湯タンポ」ぐらいであった。
・・・堀ごたつも電気ではなく「練炭」か「豆炭」であった。
以上のような訳で、学校の石炭ストーブは、夢のような暖房であった。

ところで教室のストーブは「生徒の当番制」で運営されていた。
当番は朝早く来てストーブを燃やし、灰をきれいに掃除してから帰った。
この当番は3人で行っていた。・・・あいうえお順
簡単に言うが、石炭を燃やすのは大変難しい!
とにかく、なかなか石炭に火がつかない。
最初は紙を燃やし、小さな木を燃やして種火を作り、それで石炭を燃やす。
これが、日によっては、なかなか上手く燃えないのだ・・・
石炭を燃やすのにも個人差があり、得て不得手が当然あった。
皆が教室に出てきているのに、未だストーブが燃えない当番もよくあった。
そうなると皆の顰蹙ものだが、そんな時は上手い者が焚いてやったりした。

ある朝、教室で担任の先生が私たち当番3人の名前を呼んで、前に並んだ。
いきなり、頭の頂点に物凄い激痛がはしり、目の前に「星が」飛んだ!
3人が力一杯「そろばん」で頭を叩かれたのだ。
教師用の60cmぐらいある、大きな5つ玉のそろばんである。
そろばんの玉は尖っている!それが何個も頭に食い込むのである!
このときの痛さは今でも忘れない!
とにかく何も言わずに、いきなり先生が頭を力一杯に叩いたのだ・・・・
3人を叩いてから、先生は理由を言った。
それは私たち3人が「ストーブの後始末」を忘れて、帰ったためであった。
その時先生が大きな声で怒られた内容は次の3点だった。
  ○ 決められたことは必ず守れ!
  ○ 学校が燃えたらどうするんだ!
  ○ 人の迷惑を考えろ!
とにかく、全部私たち3人の連帯責任であり、全て3人が悪かったのだ。
今から43年前の冬だったが、頭の痛さと共に、忘れない思い出である。

この「出来事」から後、当番で忘れる者は居なくなった!
ここぞ!と言う時に、頭から血が出るほど叩くのも、大変重要な教育だ!
百回、訓示を垂れるより一撃で43年の効果がある。
昔の先生は偉かった。

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